ハーヴェイ・ガールズ
アメリカで1946年に公開された「ハーヴェイ・ガールズ」という映画があります。主演は、1939年のミュージカル映画『オズの魔法使』で有名なジュディ・ガーランド(Judy Garland)。残念ながら日本では劇場未公開だった作品です(DVD はあります)。この記事を書いている時点で76年も前のものなので、ご存じの方はむしろ少ないかもしれません。
舞台となった時代は日本でいう明治期、19世紀末。ジュディ・ガーランド演じるスーザンは「ハーヴェイ・ハウス」と呼ばれるレストランでウェイトレスとして働く若い女性たちに混じってアリゾナ州のとある駅に大陸横断鉄道の汽車に乗って向かうところから物語は始まります。
ハーヴェイ・ハウス
この「ハーヴェイ・ハウス(Harvey House)」。実は、今ではごく当たり前になった、いくつもの加盟店を運営する形のフランチャイズ・ビジネスをアメリカで初めて作り上げた、当時としては非常に画期的なレストラン&ホテルチェーンでした。
創業者は、アメリカに移住してきたイギリス人、フレッド・ハーヴェイ(Fred Harvey)。1876年にその最初のレストランがオープンしたハーヴェイ・ハウスは、昔の日本もそうでしたがアメリカも「女性は外で働くのではなく、家を守るのが当たり前」だった時代に若い女性を積極的にスタッフとして雇い入れたことが事業の大成功につながりました。彼女たちは親しみと敬意を込めて「ハーヴェイ・ガールズ」と呼ばれ、荒くれ者が闊歩するアメリカ開拓期の西部を「文明化した」(civilized the wild west) とも評価されます。
映画の物語
スーザンの旅の目的は、広告を見て知り合っただけの、まだ会ったことがない相手と結婚するためでした。当然彼女は不安な気持ちもありましたが、その相手の男性から届いた美しい文章の手紙を思い返しながら期待に胸を膨らませていました。
ところが、会ってみるとその男性はイメージと全然違う老人で、しかも彼にはあまり結婚したいという気持ちがなかったために結婚は白紙になってしまいました。しかも、スーザンがときめいた手紙を書いたのはその男性ではなく何とネッドという別の人だったのです。
結婚がなくなったスーザンは、結局ハーヴェイ・ハウスでウェイトレスとして働くことになるのですが、彼女は代筆をしたネッドに苛立ちながらも徐々に惹かれ…。
続きは是非DVDをご覧になってみてください。
しかし、西部開拓時代のアメリカを「文明化した」と絶賛されるほどのレストラン&ホテルチェーンはどのように作り上げられ、なぜ「ハーヴェイ・ガールズ」がそれほどまでに評価されたのでしょうか。
アイキャッチ画像:[El Navajo Harvey House staff in Gallup, New Mexico, circa 1933. Courtesy of Baumgartner-Leonard Collection.] From “HARVEY HOUSES OF NEW MEXICO” by Rosa Walston Latimer, © Rosa Walston Latimer.