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コラム:愛情が注がれた国鉄103系電車
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History of JNR (Japanese National Railways)
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25兆円もの債務を抱えた末に分割民営化された国鉄は、実は収益性の高い公共企業体でした。
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日本国有鉄道(国鉄)の誕生。その歴史は、波乱の幕開けでした。
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不穏な門出となった国鉄は、その後も多発する重大事故により総裁が辞任する事態が続きます。
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国鉄の大改革を成し遂げられる人は誰か。当時の運輸大臣で後に第66代首相となった三木武夫が目を付けたのは、この方でした。
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71歳で第4代国鉄総裁への就任を要請された十河信二には、ずっと心に秘めていたある夢がありました。
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国鉄総裁就任の要請を受けた十河信二は、「広軌新幹線の建設」の夢がその口まで出かかっていました。しかし、いきなりその熱い思いをぶつけるのはリスクがありました。
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十河総裁には、優秀な技術者が必要でした。十河総裁にとって、その大役を担うことができると確信できるのはこの人を置いてほかにいませんでした。
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十河総裁は、よく怒鳴りました。怒ると「実際にムチで打たれるような迫力」があり、その部屋にいる全員が思わず席から立ち上がってしまうほどのド迫力でした。
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十河総裁は大声でこう言いました。「君たちは技術に忠実でない。技術的良心を発揮して、技術的信念に基づいて検討して欲しい」
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東京・銀座の山葉ホールで鉄道技術研究所創立50周年を記念した講演会が企画されました。そのタイトルは、「超特急列車、東京―大阪三時間への可能性」。
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予想以上の大成功を収めた山葉ホールでの講演会でしたが、なぜか翌日の十河総裁は不機嫌でした。
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昭和32(1957)年7月29日、国鉄に「幹線調査室」が設置されます。それは、運輸省幹線調査会における議論を円滑に進めるための事務局としての位置付けでした。
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答申に先立ち大石室長から説明を受けた島技師長は、十河総裁に3,000億円という額を提示しました。それを聞いた総裁はこう命じます。「これじゃ高すぎる。半分にしろ」
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十河総裁の「かならず国民のためになる」という強い信念のもと通過した新幹線建設予算ですが、絶対に足りなくなることは明らかでした。そこで、ある秘策が浮上します。
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昭和34(1959)年4月20日、静岡県の新丹那トンネル(熱海-函南間)の熱海口で、関係者80名ほどが集まり新幹線起工式が行われました。
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昭和37(1962)年6月23日、後に東海道新幹線の一部となる鴨宮-綾瀬間の約32キロの区間が完成し、数々のテストが行われました。「鴨宮実験線」の誕生です。
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十河総裁が奇跡の再任を決め、幾多の障害を乗り越えながら夢の超特急建設が進んでいた国鉄でしたが、大事件が起こります。
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「東海道新幹線は、世界一だ。世界一の鉄道をつくるのは、君たち現場の諸君だ。みんな、これからも誇りをもって国鉄を支えてくれ!オレもいっしょに夢を追い続ける!」
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小説の中の主人公は、経団連会長に国鉄総裁になることを口説かれ、迷いました。その日の真夜中、モーツアルトの「レクイエム」を聴いて総裁を引き受けることを決意します。
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「君は道楽息子(新幹線)を残して去って行くが、今後どんなに悩まされることか」-裏腹に、開業後の東海道新幹線は安全を保たれ、国鉄屈指の黒字路線となって行きます。
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十河総裁なき後の国鉄は、昭和39(1964)年度決算から赤字へと転落し、その後二度と黒字になることはありませんでした。
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その頃、労使対立(一般職員と管理職との間の対立)は一層激しくなりました。現場では、一般職員が暴力をふるって管理職を吊し上げるという険悪な状況になってゆきます。
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昭和40年代、ストライキが頻発して遅れや運休が頻発した乗客の怒りが頂点に達し、ついに暴動にまで発展してしまいます。
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昭和38(1963)年5月17日。国鉄総裁として最後の記者会見で十河は一句詠みました。「老兵の消えてあとなき夏野かな」
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日本における鉄道と宇宙開発。それぞれの分野はまったく関係ないと思われるかもしれませんが、実はある一人の人物を通して深いかかわりがあるのです。
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