コラム:国鉄のデザイナー / 黒岩保美

0
3574

国鉄車両に見られた、日本の伝統と情景にマッチした美しい色合いや数々のトレインマーク、重厚感があり視認性に優れた各種表記文字。これらすべては、日本画を熟知した、ある一人のデザイナーの手によるものであったことをご存知ですか?

黒岩保美

黒岩保美(くろいわ やすよし)は、1949(昭和24)年に国鉄工作局客貨車設計課に配属され、1977(昭和52)年に退職するまで 昭和30~40年代の国鉄車両内外装のデザインを数多く手掛けました。

まさに「国鉄のデザイナー」と呼ぶにふさわしい方だと思います。

生い立ち

幼少期から汽車が好きだった黒岩は、1921(大正10)年11月14日、現在の東京都中央区日本橋富沢町に生まれました。

小学校に入ってからずっと病弱であったために、中学卒業後の進学ができず、鉄道会社への就職は困難とあきらめざるを得ませんでした。その頃、黒岩は当時東京駅北側ガード下にあった鉄道博物館に毎週通い、機関車のスケッチを描いていました。黒岩家は呉服を扱う悉皆業(しっかいぎょう/デザインから洗い張り、染み抜きまでの着物のすべての工程を受け持つ業務)を営んでいたため、病弱な保美の将来を心配した父は、汽車の次に好きだった絵を描くことを仕事とできるようにさせたいと考えました。そこで、呉服の模様くらいは描けるようにと、当時美大の教授だった矢澤弦月(やざわげんげつ)から日本画の手ほどきを受けることになったのです。

1940(昭和15)年の第二回日本画院展に「機関車」を出品し、入選。

その後、黒岩は戦争の激化により海軍横須賀航空隊に配属され、航空兵の教育資料製作に携わりました。

終戦後、交通博物館からの依頼により描いた進駐軍専用特殊改造客車の内部見取図が、後の国鉄副技師長 星 晃(ほしあきら)の目に留まります。星は、将来国鉄の設計にこういう仕事をする人が要るからと上司に進言し、黒岩には嘱託にならないかと勧めます。黒岩にとって、それは願ってもない申し入れでした。

こうして、黒岩は1947(昭和22)年より嘱託職員、そして 1949(昭和24)年には国鉄正式入社となりました。

国鉄進駐軍改造客車見取り絵 1947
Illustration: © Kuroiwa Yasuyoshi

作品

黒岩が手掛けた主な作品の一部を以下に挙げます。

  • 湘南電車のカラーリング(コラム:東海道線の色はみかんと葉っぱではない? 参照)
  • 寝台特急「あさかぜ」、ビジネス特急「こだま」のカラーデザイン検討
  • 東海道新幹線車両などの完成予想図
  • 「ゆうづる」(下図参照)を含む特急列車ヘッドマーク
  • グリーン車マーク(下図参照)
特急「ゆうづる」ヘッドマーク 鉄道博物館蔵
背景の朱色は夕日を表し、当初牽引したC62型蒸気機関車とマッチするデザインでした。Illustration: © Kuroiwa Yasuyoshi

 

グリーン車マーク貼付見本 1969
Illustration: © Kuroiwa Yasuyoshi

 


アイキャッチ画像:電車群像/気動車群像/客車群像 個人蔵 ©Kuroiwa Yasuyoshi、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 第47回企画展 没後20年 工業デザイナー 黒岩保美 パンフレットより

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 第47回企画展 没後20年 工業デザイナー 黒岩保美 パンフレット

「没後20年 工業デザイナー 黒岩保美」 公益財団法人東日本鉄道文化財団  2018年

「とれいん」1992年10月 No.214 株式会社エリエイ出版部 PRESSE EISENBAHN