コラム:ゼロ戦から新幹線へ / 松平 精

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2013年に公開された、宮崎駿監督によるスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画『風立ちぬ』。その主人公のモデルとなった堀越二郎が設計したのは、太平洋戦争当時世界一の性能を持ち、アメリカ空軍に恐れられた零式艦上戦闘機=ゼロ戦でした。

今回は、そのゼロ戦と新幹線を結ぶ一人の技術者のお話です。

松平 精

三木忠直(コラム:剣を打ちかえて鋤とする / 三木忠直 参照)同様、松平 精(まつだいら ただし)は東京帝国大学の船舶工学科を卒業後、海軍航空廠(こうくうしょう)飛行機部研究課に配属されました。

松平は飛行機の振動問題の専門家として海外の文献を研究し、実機を使った振動試験を行ないました。

松平精
松平精 – 「新幹線を作った男 島秀雄物語」 髙橋団吉著 小学館 p.90

空中分解事故

1941(昭和16)年4月。横須賀航空隊の上空で、ゼロ戦が謎の空中分解事故を起こして飛行士が亡くなるという事故が起きました。ゼロ戦はその前年に海軍で制式採用されており、それまでに150機ほど生産されていたため、原因の究明が急がれました。

松平は、この事故はフラッター(英語:Flutter、「羽ばたく」「ばたばたする」を意味する)と呼ばれる現象によるものであることを1/10の模型を使った実験により、当時は起こらないと思われていた320ノット(=約570km/h)の低速でも起きることを突き止めました。

実は量産機で操舵を軽くするために補助翼に重りをつけたことで、この問題を引き起こしていたのです。改めて対策が取られました。

台車の蛇行動

終戦後、松平は国鉄の鉄道技術研究所に入所します。

それから2年ほど経った1947(昭和22)年7月。山陽本線の光~下松(くだまつ)間でD51型蒸気機関車が突如脱線し横転、牽いていた客車が崖下の海岸に転落し多数の死傷者が出る事故が発生しました。

事故調査委員会の一人として現場に到着した松平は、機関車が脱線したと思われる地点から先のレールは破壊されて飛び散ってしまってるものの、その手前50mほどにわたってレールがサインカーブを描くように大きく左右に湾曲していることに気づきます。

これはゼロ戦で起きたフラッターの問題と同様に、一定の速度になると左右に大きく揺れることで起きた事故ではないかと松平は考えます。この発想は、当時の他の鉄道技術者たちからは嘲笑の的となりましたが、1/10模型で実車換算速度 50km/h を超えると突然車体が揺れて「蛇行動」を始めることを証明しました。

その後 、1959(昭和34)年には鉄道技術研究所で 250km/h の速度まで台車の振動を調べることのできる「車両試験台」が完成し、数々の蛇行動試験や振動特性試験が行われました。

こうして、ゼロ戦で培われたフラッター対策技術は、松平の手により世界初の高速鉄道=新幹線の開発に活かされたのです。

 


アイキャッチ画像:ソロモン諸島上空を飛行する西澤飛曹長搭乗とされる零戦二二型 UI-105号機 (第251海軍航空隊所属、1943年撮影)

「ゼロ戦から夢の超特急」青田 孝著 交通新聞社新書