コラム:新橋-横浜間鉄道開通の意外な仕掛け人(1/2)

毎年10月14日は「鉄道の日」。それは、明治5(1872)年のその日に日本で初めての旅客鉄道が新橋(後の汐留貨物駅、現在は廃止)と横浜(現在のJR根岸線桜木町駅)を結ぶ路線で開通したことに由来します。この鉄道建設は、日本の近代化を進めるために明治政府の大隈重信と伊藤博文が中心となって発案されて推し進められた、という話は多くの人の知るところとなっています。しかし実は、ある一人の人物がそもそものきっかけを作っていたのをご存じですか?

1.高島嘉右衛門

その人物とは、高島嘉右衛門(たかしま かえもん)です。天保3(1832)年11月1日、江戸三十間堀町(現在の東京都中央区銀座三~七丁目あたり)の材木商兼土木請負業を営む家に生まれた高島嘉右衛門は、実業家として横浜の発展に非常に大きな貢献をされました。その数多くの功績の中には、日本で初めてのガス灯事業や、多額の私財を投じて語学を中心にした洋学教育の塾を開設するなど多岐にわたっています。

高島嘉右衛門は、実業家であったと同時に易断による占いを極め、「易聖」とも評されています。その的確な易断から、明治新政府の高官たちも嘉右衛門からの助言を求めて多数訪れました。例えば、日清戦争と日露戦争の行く末を占った内容は当時の新聞記事にも掲載されました。

高島嘉右衛門

高島嘉右衛門/明治5(1872)年頃 「高島嘉右衛門 横浜政商の実業史」 松田裕之著 日本経済評論社 p.169

2.鉄道建設計画

明治2(1869)年9月10日。嘉右衛門は、「我が国ホテルの先駆」とも呼ばれる自身の事業で蓄えた私財を投じて太田屋新田(現在の横浜市中区常盤町あたり)に建てた旅館「高島屋」(※現在あるデパートとは無関係)に宿泊するためにやってきた大隈重信(後の第8・17代総理大臣)と伊藤博文(後の初代総理大臣)の夕食の際に座敷へ呼ばれます。そして、伊藤博文は嘉右衛門にこう尋ねます。

われわれは目先の問題の処理に追われて、遠い将来の計画が樹てきれなくなっているのですよ。日本のためにいま一番の急務はなんでしょうかね

そこで嘉右衛門はこう答えます。

蒸気車の敷設ではないでしょうか。最初は異人さんの技師の手を借りなければならないとしても、いずれは日本人だけの手でレールも敷け、機関車、客車も走らせられるのではありませんかな。極端なことをいえば、明日からでも準備にかかるべきでしょう。個人の事業としてもしお許しをいただけますなら、私がおひきうけして東京-横浜間の鉄道を建設いたしましょうか

二人は「まあ、その話はいずれゆっくり考えましょう」と話を打ち切りましたが、その夜、嘉右衛門は自身のたてた易の結果を見て4年以内に全通すると判断しました。

3.願書提出

そこで問題になるのが資金ですが、最低でも100万ドルという条件の資金をどこから借り入れるのか。何と、嘉右衛門はあるイギリス人から政府からの鉄道敷設免状を担保としてそれだけの資金を調達するための仮契約を結ぶことに成功します。そして嘉右衛門は大蔵省の大隈重信のもとを訪れて鉄道建設の願書を提出してから、こう話します。

東京側の中央停車場は、浅草あたりがよいかと心得ます。そうすれば将来、北へ鉄路がのびますときにも便利と存じますが

さて、その結果やいかに…。

コラム:新橋-横浜間鉄道開通の意外な仕掛け人(2/2) に続く (2017/10/22 20時公開)


アイキャッチ画像:「高島嘉右衛門 横浜政商の実業史」 松田裕之著 日本経済評論社 p.120

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%98%89%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80

「高島嘉右衛門 横浜政商の実業史」 松田裕之著 日本経済評論社

「「横浜」をつくった男」 高木彬光著 光文社文庫

「日本鉄道物語」 橋本克彦著 講談社文庫