コラム:十河信二とアメリカ(3)

大正6(1917)年の十河のアメリカ留学で滞在先として紹介されたのは、ハドソン川に面するヘイスティングス (Hastings-on-Hudson) という小さな町に住むマシュー家でした。

3-1.お国のため

当時50歳だったウィリアム・マシューは、ニューヨーク自然博物館で古生物学部長を務める古生物学者でした。

ある日曜日の朝、十河はマシュー博士に「教会へご一緒したい」と伝えます。すると博士は、

教会へ行ってつまらない牧師の説教を聞くよりは畑を耕して豆でも作ったほうがはるかにお国のためになる

といって聞きません。

そんな彼は、その日の午後になると軍人の格好をして銃を担いで出かける準備をします。十河がどこに行くのかと尋ねるとこう答えます。

この街には二千人の職工が働いている工場が二つある。しかもその治安はただ一人の警官によって守られているだけだ。すでに二十歳から四十歳までの男という男はことごとく志願兵になって出征した。街の治安は当然市民が自ら守らなければならない。そこで四十一歳から六十歳までの男が申し合わせて、自らの金で制服、武器を購入し、正規の軍人に依頼して毎日曜の午後訓練を受けることにしている。そうしておれば万一の場合にも役立ち、ことを未然に防止できようというものだ

3-2.砂糖は使わない

子供が3人いるマシュー家の朝は、テーブルを囲んで皆でオートミールやコーヒーをいただきますが、砂糖がつきません。不思議に思った十河が尋ねると、マシュー夫人は

戦場で働く兵隊は糖分が余計に必要。戦場に送る必要があるので、家庭では極力節約するようにしています

と答えます。驚いた十河がそれは法律で決められたことなのですか、と聞くと夫人はこう話します。

法律でも規則でもありません。ただ新聞に内務長官の話が出ていたので、市民がその趣旨に留意してそれぞれの家庭で節約しているだけです

十河にとってマシュー家で見聞きしたことは何もかも驚きの連続で、愛国心は日本人独特のものだと思い込んでいた自分が恥ずかしくなったと後に書いています。深い感銘を受けた十河のアメリカ人に対する見方は一変しました。

3-3.忘れ物

その後、オンタリオ湖に近いロチェスターに滞在していた十河のもとに、マシュー夫人から「部屋を掃除していたら忘れ物があったのでお送りしました」と書かれた一通の手紙と共に小包が届きました。そこには、ごみ箱に捨てたはずの穴の開いた靴下がきちんと洗濯され、修繕されて入っていたのです。

十河は深く感謝し、夫人に手紙でこう書き送りました。

有難くもったいなくてこの靴下ははけません。東京に持ち帰りいつまでも記念にいたします

 

アイキャッチ画像:マシュー夫人、「不屈の春雷(上) 十河信二とその時代」 牧 久著 ウェッジ p.162

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