コラム:国鉄から始まった「電子レンジ」

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昭和30年代の国鉄は、当時の先端技術を新型車両に積極的に取り入れて時代をリードしていました。今回はその中の一つ「電子レンジ」を取り上げます。

兵器は調理器具へ

第二次世界大戦中、兵器としてレーダー技術が実用化されました。この技術によるマイクロ波を調理器具に応用できることを発見したのは、米国レイセオン社の技師パーシー・スペンサーでした。その原理は、水分子を含む物質が電磁波によって分子レベルで振動および回転することにより加熱されるというものです。

米国ではレイセオン社が特許を取得し1947年に製品化しましたが、日本における調理器第一号を開発したのは、日新電機の井上昭雄(てるお)でした。

実用化

井上氏は、東芝からマイクロ波を使った調理器具の実用化を依頼されました。

この高周波は覗いたりすると角膜をやられてしまいますので全面にスリットを設けたり、二重三重の安全装置の設計は入念に行いました。東芝からは国鉄の食堂車と自衛隊を販売ターゲットに考えていると聞きました。製品化したときの価格を考えて、飲食店や一般家庭ではなく官公庁にねらいを絞ったのでしょうね。
- 井上氏談、福原俊一著「国鉄急行電車物語」より

かくして、試作品は昭和35 (1960) 年に完成し、その後東芝が製品化しました。

『電子レンジ』

国鉄への営業が始まる頃には、その2年前からビジネス特急「こだま」が首都圏と京阪神を結んでおり(東海道新幹線開業前)、ビュッフェと呼ばれた食堂車には当時としては非常に先進的な各種電気器具-電気冷蔵庫、電熱式酒かん器、ジュースクーラー、電気レンジなどが揃っていました。

しかしながら、電気レンジでメニューのビフテキ(ビーフステーキ)を調理するにはそれまで使っていた石炭レンジに比べて火力が足りず、コックからはクレームが出ていました。

マイクロ波を使った新しい調理器は昭和36 (1961) 年12月から153系急行電車のビュッフェに採用され、温かいカツ丼や鰻丼を提供することができるようになりました。

東芝が開発した新製品に名前をつけようと、関係者でいろいろ考えました。電気のレンジなのですが、電気レンジは当時既に20系客車やこだま形の食堂車などで使われていましたから、高周波の電子で加熱するので『電子レンジ』とネーミングしたのです。後にこの名称が一般化しますが、最初のネーミングはたぶん我々だと思いますよ。

とは、当時国鉄の電車主任技師だった星 晃氏のお話です。

 

電子レンジ(サハシ153-23)
「国鉄急行電車物語」 福原俊一著 JTBパブリッシング p.140

 

アイキャッチ画像:153系急行電車、155系修学旅行電車。「国鉄急行電車物語」 福原俊一著 JTBパブリッシング p.10  [宮原電車区 昭和34年3月28日 P:野口昭雄]

https://ja.wikipedia.org/wiki/電子レンジ

「ビジネス特急〈こだま〉を走らせた男たち」 福原俊一著 JTB

「国鉄急行電車物語」福原俊一著 JTBパブリッシング