昭和30年代、十河総裁と島技師長のもとに集結した国鉄の新幹線開発チームには、多くの旧日本陸海軍にいた優秀な技術者たちが加わっていました。今回のコラムでは、その車体設計に大きく貢献したある人物を取り上げます。
History
昭和30年代、十河総裁と島技師長のもとに集結した国鉄の新幹線開発チームには、多くの旧日本陸海軍にいた優秀な技術者たちが加わっていました。今回のコラムでは、その車体設計に大きく貢献したある人物を取り上げます。
昭和39(1964)年10月の東海道新幹線開通を記念して、東京駅には2つの記念碑があります。今回は、それらにまつわるエピソードを取り上げます。
昭和39(1964)年10月1日の東海道新幹線出発式に、十河前総裁と島前技師長の姿はありませんでした。
昭和37(1962)年初頭、試作車両のカラーリングをいよいよ決めることが必要になりました。島秀雄技師長は、このような指示を出します。
国鉄総裁就任を要請された十河信二は、政府に対して広軌新幹線の建設を実現することを就任のための必須条件にしたかったのですが、いきなりその思いをぶつけてもむしろ計画が潰されてしまう、そう考えてまずはそのことに直接触れないよう […]