コラム:十河総裁と東海道新幹線のカラーリング

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昭和37(1962)年初頭、試作車両のカラーリングをいよいよ決めることが必要になりました。島秀雄技師長は、このような指示を出します。

1.二案用意してください

二案用意してください。外部の専門家の参考意見も聞いて、最後は総裁に決めていただきます。

そこで、さっそく臨時車両設計所のメンバーはデザインをまとめます。1つは、アイボリーに赤のライン。もう1つは、アイボリーに青のラインを入れたものを用意しました。

その頃、日本を代表する特急列車であれば国旗(日の丸)の色をイメージする赤系にするというのが基本でした。その頃在来線にデビューしていた特急「こだま」がクリームと赤系のカラーリングになっているのもそういう背景がありました。

国鉄151系 特急「こだま」
画像:日本国著作権消滅/米国フェアユース, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=22817

2.ハイライト

アイボリーに青のラインを入れた案は、デザイン案の会議中にあるメンバーがポケットから「ハイライト」のたばこを取り出したことがきっかけになったという説があります。

「ハイライト」は、それから約1年半ほど前に売り出され、発売開始からわずか2週間で4億本の売り上げを記録する大ヒット商品になっていました。

3.キミは、どっちがいいんだい?

「新幹線の色を決めていただこうと思ってまいりました」

十河信二総裁のもとを訪れたのは、車両課長の西尾源太郎でした。これまでの背景から、十河総裁は青系統の案に反対するのではないかと思われていました。

「いずれがよろしいか、総裁に決めていただきたいのです」

「キミは、どっちがいいんだい?」

しばらくイラストを眺めていた十河総裁が尋ねました。

「現場は、ブルー案です。スピード感もあり、いかにも夢の超特急らしいという意見でした。私もそう思います」

「じゃ、…そうしたらいいじゃないか」

あっさり決まったのですが、十河総裁はこう続けました。

「… キミ、日本海をどう思う?」

「はっ…?」

「日本海はだ…アジアの地中海にならなくちゃいかんな」

「はぁ…」

西尾は、この時十河が何を言いたかったのか理解できませんでしたが、後日、それはその昔南満州鉄道理事であった十河総裁の、日本海がアジアの交流の海になってほしいという願いがこもった言葉であったということを理解しました。

 

コラム:島技師長の設計思想

 

画像:GFDL, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1151534

「新幹線を走らせた男 国鉄総裁 十河信二物語」 髙橋団吉著 deco

「新幹線開発物語」 角本良平著 中公文庫

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