国鉄の歴史(エピローグ):人類の未知への挑戦

H-IIA ロケット

日本における鉄道と宇宙開発。それぞれの分野はまったく関係ないと思われるかもしれませんが、実はある一人の人物を通して大きなかかわりがあるのをご存知ですか?

1.島秀雄技師長のその後

昭和38(1963)年に、当時の十河信二国鉄総裁の辞任と同時に国鉄を去った島秀雄技師長は、住友金属工業の顧問となられました。それから、6年の年月が流れた昭和44(1969)年6月のこと、島のもとにその年の10月に発足が決まっていた宇宙開発事業団(NASDA)の初代理事長就任の要請が突如舞い込みます。最初は固く辞退していた島ですが、当時の佐藤栄作総理大臣や十河元国鉄総裁を含めて各方面からの賛意を受けて受諾することを決めます。

でも、宇宙開発とまったく畑違いの島のもとになぜそのような要請が来たのでしょうか。日本の航空宇宙分野の技術については、兵器産業と結びつくことを警戒したGHQが戦後関連する産業を徹底的に解体したため、大変難しい出発を強いられていました。しかも、当時東京大学宇宙航空研究所を主体するグループと、科学技術庁宇宙開発推進本部を中心にするグループに分裂していたことから、科学技術庁主導のもとに新たな組織を立ち上げるためにはどちらにも属していない中立的なリーダーが必要だったのです。

2.ロケット燃料

68歳で理事長に就任した島ですが、もちろん航空宇宙技術の分野については専門外です。その年の7月に有名な米国のアポロ11号による初の有人月面着陸に関するNASAの技術文献をあまりにも根詰めて読んだために、右目が失明寸前になってしまいました。

島理事長は、ロケット開発において米国からの技術をすぐに導入することを決断しました。ほぼそのすべてを国産技術で実現した東海道新幹線の開発の先頭に立った人の考えとは一見矛盾するようにも思えますが、こうした先端技術はいずれ国家の枠組みを超えた世界的なネットワークとなることを見据えた総合的な判断によるものでした。

そもそも未知に挑むということには、自己の未知と対決する場合と人類の未知に挑む場合があるわけですが、わたくしたちはその後者にこそ高い意義を認めるべきです。

-島秀雄、昭和45(1970)年10月、NASDA所員への挨拶の中で

島理事長のもと、NASDAは化石燃料ではなく地球に優しい燃料(酸素と水素で構成される液酸液水式、排出されるのは水蒸気のみ)による推進力を特色とするロケットの開発に注力し、純国産ロケットH-IIでそれが実用化されました。

島秀雄は、晩年環境問題に特に大きな関心を寄せていました。書斎には地球環境問題に早くから警鐘を鳴らしていたローマクラブ(スイスに本部のある民間シンクタンク)の資料が数多く残されており、その会議にもたびたび参加されていたのです。

3.未来へのメッセージ

十河信二第4代国鉄総裁と島秀雄技師長は、「新幹線の父」として知られています。お二人が残された功績は数多くて語り尽くせませんが、一番重要な点としてお二人はただ新幹線を作ったのではなく、遠距離を結ぶ交通手段として当時もはや時代遅れで使い物にならなくなると殆どの人が考えていた時代に航空機や自動車と比べて環境負荷が少ない鉄道をその中心へと取り戻したことにあると思うのです。

JNR

このお二人の力があってこそ、現在の日本だけでなく世界各国での高速鉄道の発展があるわけですから、ある意味世界を救ったということになります。とはいえ、言い換えるとそれは単に環境破壊のスピードを緩めたということですから、21世紀の今を生きる私たちに今度は向かう行先を変えるというミッションがあるのではないでしょうか。

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コラム:十河総裁と東海道新幹線のカラーリング

アイキャッチ画像:By Naritama (NARITA Masahiro) – Photo taken by Naritama (NARITA Masahiro), CC BY 2.1 jp, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5773998

「新幹線をつくった男 島秀雄物語」 髙橋団吉著 小学館