0系新幹線の車体設計で有名な星晃氏は、元祖「ブルートレイン」20系客車の設計にも関わられましたが、ご存命中にすでに縮小傾向にあった夜行寝台列車の行く末を案じておられました。今回は鉄道専門誌の記事の中から、盟友卯之木十三氏のお話なども交えてご紹介したいと思います。
1.時代の生活水準に応じた”ゆとり”を
新”あさかぜ”が営業を開始したのは、昭和33年10月1日でした。それから約10年後、私が客車の設計とは離れていた頃、全く別の用事でヨーロッパに参りました。でも昔とったきねずかと申しましょうか、新しい客車の構造が見たくて、いろいろな列車に乗って回りました。決して日本の鉄道が劣っているとは思いません。ただ、客車に乗って見た時、お客様1人あたりのスペースが大きいことだけは、ヨーロッパの鉄道の方が優れていると思います。そしてそれこそ、サービスの最も大切なことの一つかも知れません。
日本では、この狭い場所に如何にして押し込むかを考えているようにも見えます。狭いスペースにお客様を詰め込むために、人間工学を利用したようなことはなかったかと反省しております。国民が食うや食わずの生活をしている時は、スペースは生存の場であればよいわけでしたが、文明が向上すれば、これは生活の場でなければなりません。そしてこの両者の差を”ゆとり”と考えるならば、その時代の生活水準に応じた”ゆとり”を客車のスペースにも与えるように人間工学を利用してゆかねばならないと思います。
ー「20系客車の登場まで」 卯之木十三 鉄道ファン 1978年1月号 p.46
By spaceaero2 – 投稿者自身による作品 広島駅, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10436020
2.ビジネスホテルと価格で競争しなければならない
しかしながら、前述の卯之木氏の記事から4年後、当時の国鉄副技師長であった加藤亮氏は夜行列車をレジャー型とビジネス型に分類した上でこのように語られました。
ビジネス型寝台車
このタイプは乗車時間が比較的短く、かつビジネスホテルと価格で競争しなければならないから、シンプルでかつ1両あたりの寝台数を多くしなければならない。寝台数を確保するためには、ビジネスホテルに採用されているカプセル方式なども、狭い空間を活用しなければならない寝台車に応用できそうである。
ー「寝台車の将来像」 加藤 亮 鉄道ジャーナル 1982年7月号 p.30-34
当時の国鉄はすでに多額の累積赤字を抱え込んでいたという背景もあり、「当面収入を上げるための企画に重点をおく」と述べられています。
3.時代に合わせる努力が足りなくなってから凋落が始まった
その後、今から12年ほど前の2005年に、星晃氏はインタビューでこう話されました。
旅は急ぐためのものだけではないという街の声も聞く必要があると思いますね。世の中が変わったのは事実ですが、ヨーロッパなどでは寝台列車を新しく作っていますからね。場所にもよると思いますが、最終の飛行機が出た後に乗って、一番の飛行機よりも少し早く着くとか、そういう地点間ではまだまだ使いようがあると思います。いろいろと工夫の余地はあるような気がします。
それと、寝台列車には食堂車を付けて欲しいとも思いますね。楽しく乗れるような列車に考え直してもいいのではないかと。”ちょっと一杯”やれるような空間も必要なのではということです。いろいろと寝台列車について思いを巡らせますと、時代時代に合うようにやってきたわけですが、その努力が足りなくなってから凋落が始まったのだと思います。やはり食堂車をやめていなかったら、寝台列車の凋落はもう少し防げたのではないかという思いです。
-「星 晃氏に伺う20系誕生とその時代」岡田誠一/服部朗宏 鉄道ピクトリアル 2005年7月号 p.21
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アイキャッチ画像:By 日本語版ウィキペディアのDD51612さん, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17200318rid=12874827
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