コラム:十河信二と新幹線テープカット

昭和39(1964)年10月1日の東海道新幹線出発式に、十河前総裁と島前技師長の姿はありませんでした。

国鉄の歴史(17):東海道新幹線開業

1.出発式当日

千駄ヶ谷のアパートに、口をへの字にぐっと力を込めて結び、出発式の様子を伝えるテレビの画面を食い入るように見つめる一人の老人の姿がありました。それは、十河信二前国鉄総裁その人でした。元秘書 三坂健康は出発式の後、気になって十河の元を訪れました。三坂は、十河に出発式が無事に終わり、新幹線が予定通り開業したこと、そして十河が招待されなかった国鉄事務当局の不明を詫びました。すると、十河は静かにこう語りました。

「なに、無事に走ってくれさえすれば、それでいいんだよ」

元技師長 島秀雄も、東京 高輪の自宅から”それとなく”ひかり一番列車を見送ったといいます。

2.開業記念式典

午前6時の出発式の後、10時から「開業記念式典」が催されましたが、ここには天皇皇后両陛下がご臨席になりました。鉄道の開通式に天皇陛下がご臨席されたのは、新橋―横浜間の最初の鉄道開通時とその後の大阪―京都間の鉄道開通の時以来で、天皇皇后両陛下が揃ってご臨席されるのはこの時が初めてでした。

さすがにこの式典には十河信二と島秀雄も招かれ、十河を含む7名に銀杯が贈られることになりました。しかし、十河はその7名に島が入っていないことを知るとこう言います。

「島君こそ最大の功労者だ。島君がもらえないのならばボクも辞退する」

それで、島秀雄にも銀杯が贈られることになりました。

3.ボクは新幹線のテープを切りたいんだ

出発式の日から遡ること約2年半前の昭和37(1962)年5月。三河島事故(国鉄の歴史(16):十河総裁辞任 参照)直後のある日、日本経済新聞の記者 大谷良雄と中日新聞の記者 高橋久雄はそれぞれ十河総裁を直撃インタビューしようと総裁公邸で待ち構えていました。夜11時過ぎに十河総裁は帰宅しましたが、事故対応で憔悴しきった十河にインタビューを受ける余裕などまったくなく、秘書は断りました。しかし、どうしてもという押し問答の末に、短時間のインタビューとなりました。

「… ボクは、この一か月、泣きどおしだよ。こんなにつらいことはぼくの人生で一度もない」

ひたすら涙をボロボロと流す十河総裁は、何を聞かれても

「遺族の方々にたいへん申し訳ない…」

そう言って涙を流しては口をへの字に結ぶ。二人の記者が今晩はさすがに無理だ、そうあきらめかけて席を立とうとしたその時、十河総裁はポツリとこう言います。

「… ボクはね、新幹線のテープを切りたいんだよ。開業のテープまでは、… 辞めたくない」

これは特ダネでした。しかし、これを記事にすれば間違いなく十河総裁再々任はなくなります。二人が公邸を後にしてしばらく歩いていると、後ろから大急ぎである人物が駆け寄ってきます。秘書の三坂でした。

「いまの話は書かないでください!お願いです。絶対に!… お願いします!お願いします!!… 」

必死の形相で二人の前に立ちはだかり何度も頭をたれて動きません。

「流しましょう…」

二人の記者はどちらからともなくそう言ってうなずきました。特ダネ記事を書かなかったことは、前にも後にもこの一度だけだったと、後に大谷は書いています。

 

「新幹線を走らせた男 国鉄総裁 十河信二物語」 髙橋団吉著 deco

「新幹線をつくった男 島秀雄物語」 髙橋団吉著 小学館