コラム:2つの新幹線開通記念碑

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昭和39(1964)年10月の東海道新幹線開通を記念して、東京駅には2つの記念碑があります。今回は、それらにまつわるエピソードを取り上げます。

国鉄の歴史(17):東海道新幹線開業

1.ブロンズ製の記念碑

国鉄の石田禮助総裁と磯崎叡副総裁の時代、東海道新幹線開業三周年を記念して、東京駅の新幹線中央乗換口正面の柱にブロンズ製の記念碑が設置されました。そこには、こう書かれています。

「この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」

この文言は、恐らく当時次期総裁と目されていた磯崎に総裁室周辺の人たちが気を使ってまとめたものであるように見えます。

2.十河総裁のレリーフ

十河総裁就任直後は東海道新幹線の計画に消極的だった磯崎叡も、その頃にはありがたみを身に染みて感じていたのでしょう、十河元総裁の功績をたたえるべく、昭和47(1972)年になって東京駅にレリーフを作ることにします。19番線ホーム端、十河信二が招待されなかったあの出発式が執り行われたその場所です。

許可をもらおうと十河元総裁のもとを訪れますが、十河は会おうとしません。まわりの説得で何とか短い会見が実現し、磯崎総裁は十河に鉄道開通百年の記念として新幹線ホームに十河の功績をたたえたレリーフを作りたいので許可をいただきたい、とお願いします。

くだらん。オレの顔にハトが糞をかけるだけだ。

それでも何とか粘って了解は得ることができました。その後レリーフは出来上がったものの、除幕式には磯崎総裁も十河元総裁も欠席という事態に。結局、東京駅駅長と数名の職員だけで執り行われ、テープカットはたまたまその場で新幹線に乗るところだった母子が行いました。

とは言っても、十河は気になっていたらしく、その後秘書の巧みな誘導のおかげでレリーフの前にやって来ます。すると、そこで一言。

似とらん。

とはいえ磯崎は、総裁引退後に十河についてこのように書いています。

四面楚歌のなかで最先端の技術を投入して、鉄道の将来に新生面を切り開いた十河総裁の卓見は、真に敬服に値するものだ。経営の責任者にとって、長期的展望と経営哲学にもとづいた的確な判断や勇気がいかに大切であるかを、これほど鮮やかに世に示した例はきわめてまれなことではないだろうか。

十河から総裁職を引き継いだ石田禮助も、出発式で「わしがテープを切るのはスジ違いだ」と述べ、その直後の記者会見でも「最大の功労者は十河信二である」と語りました。

3.島技師長とモニュメント

島秀雄は、東京駅で写真を撮るときは必ず19番線ホームの十河信二のレリーフの前でなければ承知しませんでした。

国鉄の歴史(19):粗にして野だが卑ではない

 

コラム:十河信二と在来線

画像:By 掬茶 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19443974

「新幹線を走らせた男 国鉄総裁 十河信二物語」 髙橋団吉著 deco

 

Ryu Takahashi
Ryu Takahashihttps://coqtez.blog
髙橋 竜(たかはし りゅう) 横浜市生まれ、ロサンゼルス育ちの48歳。法政大学経済学部卒。所属は、某外資系IT企業と COQTEZ ブランドをプロデュースする合同会社ビイエルテイ 代表。ボランティアとして、福岡市に保存されている国鉄ブルートレイン車両「ナハネフ22 1007」の保存修復活動を2009年より継続中(任意団体 ナハネフ22 1007修復プロジェクト委員会 会長)。横浜市在住。趣味は鉄道(メインはやはり国鉄)、料理、ドラム。愛が込められたプロダクトデザインとしての国鉄車両とあらゆる意味での持続可能性が高い経営という組み合わせの実現を夢見ています。

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