History

国鉄の歴史(5):「君たちに夢を」

JNR

国鉄総裁就任を要請された十河信二は、政府に対して広軌新幹線の建設を実現することを就任のための必須条件にしたかったのですが、いきなりその思いをぶつけてもむしろ計画が潰されてしまう、そう考えてまずはそのことに直接触れないようにしました。

代わりに、三木運輸大臣に就任の3つの条件のうちの1つとして「赤字線の建設を国鉄に強要しない」ことを約束させました。

5-1.我田引鉄

「我田引水(がでんいんすい)」とは、水不足の時に農民がほかの人のことを考えずに自分の田んぼにだけ水を引こうとすること。翻って自分さえ良ければという利己的な考えを指す意味となりました。その言葉をもじって、「我田引鉄(がでんいんてつ)」という表現が生まれました。それは、政治家が自分の票田である地元に採算性などを度外視して鉄道路線を引こうとすることを意味しています。実際、こうした政治的な力が働いて、需要に見合うかどうかという客観的な調査検討が十分なされずに敷設された多くの地方路線は、昭和30(1955)年当時すでにその多くが赤字になっていました。さらにそうした赤字路線が増えれば、新幹線建設どころではありません。十河は、そこに費やされる無駄な経費を新幹線のために充てようと考えたのです。

5-2.線路を枕に討死する覚悟

昭和30(1955)年5月20日午前11時、第4代国鉄総裁に就任した十河信二は、国鉄本社で1,500人の職員を前にこう話しました。

今日の国鉄くらい世間から信用を失った時代はない。総裁に就任しろと勧められたが、私は鉄道博物館のすみっこにホコリをかぶっている骨とう品だからといって固辞した。しかし、祖国の難に赴くことをちゅうちょする不忠者かといわれたので、私は不忠者になりたくないから引受けた。線路を枕に討死する覚悟である。

広軌新幹線の実現について、後に十河総裁は「先輩たちが何度やっても失敗してきたので、よほど地ならしをして、根回しをやっておかないと、先輩の轍を踏むぞと考えた。”慎重にやれ”という先輩たちの声が聞こえた」と語っています。

5-3.君たちに夢を与えたい

十河総裁は総裁就任後のある時、秘書であった蔵田昭にしみじみとこのようにおっしゃったそうです。

蔵田君、国鉄の若い連中は『弾丸鉄道』に血道を上げている自分を気違いだと思っているだろう。だがこのままでは国鉄は道路と空にやられる。私は七十数歳、生きていてももうそれ程長くはない。私は君達若い者に『夢』を与えてやりたいのだ。

こうして、世界初の夢の超特急建設への挑戦は始まったのです。

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国鉄の歴史(6):島秀雄技師長の登場

 

「夢の超特急ひかり号が走った 十河信二伝」 つだゆみ著 西日本出版社

「不屈の春雷(下) 十河信二とその時代」 牧 久著 ウェッジ

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