後に第4代国鉄総裁となる十河信二は、鉄道院経理局勤務時代の大正6(1917)年、鉄道事業の研究を主な目的として米国に1年留学することになりました。
1-1.YMCA年次総会
十河は、ニューヨークに着くとホームステイ先の相談のため、YMCAの本部を訪ねました。訪問はちょうどお昼時だったため、食事に招かれ近くのホテルに行ったところ、ちょうどそこでは各国の代表者が集まってそれぞれが報告を行うYMCAの年次総会が行われていました。十河は、そこで突然ある代表から「そこに日本からお客さんが来ているようだから、なにかお話を願いたい」と振られます。
1-2.初めての英語演説
人前で英語で話したことなどそれまで一度もない十河ははじめ断りますが、賛成の拍手が鳴り止まず覚悟を決めて演壇に立ちます。
私は交通機関に従事しているものであります。交通機関の使命は旅客、貨物を輸送するということになっておりますが、本当の使命はそういうことだけではなくて、思想や文明を交流せしめるということでなければならぬと信じております。この席上皆さんから世界各国の社会、経済、文化等に関する生きた報告を伺う機会を与えていただ(き)、感謝に堪えない次第であります。
4,5分の話でしたが、途中何度かつかえて和英辞書を引きながらだったにも関わらず、その場にいた誰一人として笑ったり、窮地に追い込むようなことを言ったりする人はいませんでした。
1-3.ニューヨーク・セントラル鉄道
話を終えて冷や汗を拭く十河に、一人の老紳士が近づきこう話しかけました。
君の話を聞いて実に敬服した。君は鉄道人であるそうだが、自分も同業だ。自分はニューヨーク・セントラル鉄道の副総裁であるが是非自分の鉄道も見てほしい。
総会後、副総裁は十河の手を堅く握り、親切にいたわるようにして自分の車に乗せ、グランドセントラル駅にあった本社に連れて行きました。そして、そこで幹部を自室に呼び集め、十河に便宜をはかるようにと指示しました。さらに、その日から十河の部屋を用意し、パスまで発行してくれたのです。
十河は後に、「いかにも事務的でありながら、そこには慈愛が溢れてい(た)」と書き、示された善意に大変感謝しています。
それから96年後の平成25(2013)年3月19日、十河のレリーフが新幹線19番ホームにある東京駅と、この歴史の舞台となったグランド・セントラル駅が姉妹駅となりました。これも何かのご縁なのかもしれません。
「別冊 十河信二」 十河信二傅刊行会
「夢の超特急ひかり号が走った 十河信二伝」 つだゆみ著 西日本出版社