ビジネス特急「こだま」を設計されたのは、新幹線0系電車の設計にも携われ、後に国鉄副技師長となられた星 晃でした。今回は、その設計にまつわる話を幾つかご紹介します。
1.コンセプト
星氏は、昭和29 (1954) 年にヨーロッパの鉄道車両を調査のため長期出張されました。その際、当時デビューしたばかりのイタリア国鉄の特急電車「セッテベッロ」(ETR300)に乗車される機会がありました。この車両は先頭部が走行中に前が見える展望席となっており、運転席は車両上部にありました。
こだま形電車の設計にあたり、ご本人は後に「それまで日本になかったデザインを目指した。しゃくだから、アメリカやヨーロッパの真似はしていないよ」と語られていますが、「セッテベッロ」からのインスピレーションは十分にあったのではないかと思います。
By Stefano Paolini – Originally from etr302-010203codogno.jpg on photorail.com; uploaded on it.wiki by Stefano Paolini; moved on Commons on 5 March 2009, CC BY-SA 2.0 it, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6094929
2.飾りじゃないボンネット
「こだま」形の外観で最も印象的なのは、その先頭部のボンネットではないでしょうか。特急電車ということでスピード感を持たせるという狙いから、ボンネットの上端部分が下よりも若干突き出たデザインが採用されたのですが、そもそもこれは単に美しさを求めた結果ではありません。
電車のおもな騒音源は、床下に取り付けられていたMG(電動発電機) と CP(コンプレッサー、空気圧縮機)でした。これらを、日本における高速運転では踏切事故のリスクが高いことを考慮し展望室の採用を見送った先頭部のスペースに設置することで、優等列車として客室の静粛性を高めてお客様へのサービス向上を図ることができました。
昭和39 (1964) 年4月24日、静岡駅近くを90km/hで走行していた12両編成の「こだま」形151系電車が踏切にいたダンプカーと衝突し、6両が脱線するという事故が発生しました。ダンプカーの運転手は亡くなり、特急電車のほうにも負傷者が出ましたが死者はいませんでした。リスクに対する適切な判断による設計が幸いしたといえるでしょう。
By TRJN – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=54305373
3.「こだま形」のその後
東海道新幹線開業後は山陽線、上越線、中央線、信越線などの各地に散ったビジネス特急「こだま」形電車。東海道線特急で大人気だった、さながら「走る応接室」を備えたパーラーカーは、それらの路線では乗車率がいま一つだったため後にすべて一般的な室内に改造されてしまいました。星氏はこのように語っています。
パーラーカーは1両くらい保存しておいてほしかったと思いますが、当時の特急普通車の輸送需要を考えれば、そのような余裕はなかったでしょうから、一般車への改造はやむ得なかったですね。やはりパーラーカーは東海道が一番似合っていたのかも知れません。
国鉄分割民営化後も「こだま」形電車の改造車がJR東日本とJR九州に一部残りましたが、JR九州で最後の1両が平成5 (1993) 年に廃車されました。最後に、星氏のこちらのコメントを引用して締めくくらせていただきます。
JR九州の485系(※ 「こだま」形のデザインを継承した、交流直流両用特急形電車。151系は直流専用)は、『RED EXPRESS』(※ 赤一色)に塗り替えられましたが、181系改造車(※ 151系の性能向上改造車)は特急色のまま廃車になったようでよかったです。
アイキャッチ画像:「星晃が手がけた国鉄黄金時代の車両たち」 福原俊一著 交通新聞社 p.66 [昭和33 (1958) 年5月に発表されたビジネス特急の完成予想図]
「星さんの鉄道昔ばなし」 星晃/米山淳一著 JTB
「星晃が手がけた国鉄黄金時代の車両たち」 福原俊一著 交通新聞社
「国鉄特急電車物語」 福原俊一著 JTBパブリッシング