国鉄の歴史(1):国鉄の誕生

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日本国有鉄道(国鉄)の誕生は、昭和24年(1949年)6月1日のこと。

それまでは「鉄道院」、「鉄道省」などの政府官庁の組織として運営されていて、鉄道およびその関連事業は完全に国営だったのですが、国鉄はこれらを公共企業体として独立採算制で経営することを目的として発足しました。

1-1.国鉄の発足

国鉄が発足した当時は、まだ昭和26年(1951年)のサンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復する前で、GHQ統治下での戦後の混乱期にありました。その頃は、外地(旧満州、朝鮮、台湾など)で働いていた鉄道関係者や、復員した軍人などを職員として積極的に受け入れていたため、そのための人件費が倍以上に膨らんでいました。折しも、当時の吉田茂内閣は米国のジョセフ・ドッジ公使からインフレ抑制のために企業合理化を進めるよう勧告を受け、「行政機関職員定員法」を制定しました。そのため、国鉄初代総裁となった下山定則の最初の主な仕事は、膨れ上がった60万人もの職員数を短期間のうちに数万人レベルで大幅に削減するということになったのです。

1-2.下山事件

実際、下山総裁の就任からわずか1ヶ月後には、9万人以上の国鉄職員に対して正式な解雇通知がなされました。その5日後、東京の日本橋三越から忽然と姿を消してしまった下山総裁は、程なくして常磐線の線路で列車に轢かれて亡くなっているのが発見されました。そのため、わずか1ヶ月ほどで国鉄総裁は副総裁であった加賀山之雄へと引き継がれます。この「下山事件」は、自殺なのかそれとも他殺なのか。警察による捜査も空しく真相は今も闇の中です。

1-3.三鷹・松川事件

それから10日も経たないうちに、今度は中央線三鷹駅構内で近くの電車区に停まっていた電車が突然走り出して車止めを飛び越え、駅の建造物を突き抜けて駅前のアパートに突っ込み、多くの死傷者を出した「三鷹事件」が起きます。さらにその1か月後には、東北本線で何者かにより釘が抜かれた線路の上を走った列車が脱線転覆し、機関士らが死亡するという「松川事件」が発生しました。

これらの3つの事件は、「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれ、現在も真実は謎に包まれています。国鉄はそんな波乱の幕開けとなったのですが、困難はまだ続きます。

 

国鉄の歴史(2):相次ぐ大事故

 

「不屈の春雷(下)十河信二とその時代」牧 久著 ウェッジ

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