History

国鉄の歴史(12):新幹線建設費

昭和32(1957)年9月11日、運輸省の第一回幹線調査会が開催されました。その会議のはじめに、大蔵会長はこう発言します。

12-1.覚悟はあるか

まず、最初に中村運輸大臣の決意を聞かせていただきたい。この調査会で導き出される決議を、断固実行する覚悟がおありかどうか。

それまで実現してこなかった、線路の幅を世界標準の標準軌にする(広軌化)案は、それ自体に何か技術的もしくは収支等の計画に問題があって実行されなかったのではありません。それが実現しなかった主な理由は、純粋に政治的な圧力によるものだったのです。

中村三之丞運輸大臣はこう約束しました。

かならず実行します。

調査会の審議は、翌年の昭和33(1958)年7月7日、ついに最終答申がまとまりました。

12-2.工事費予算

最終答申では、5年間で東京-大阪間の広軌複線を敷設し、全線をおよそ3時間で結ぶこととすること、そしてその予算は1,725億円とすることでまとまりました。

しかしながら、この予算額の設定には大きな仕掛けがありました。大石室長率いる国鉄幹線調査室の試算では、実はその総額は少なく見積もっても約3,000億円という数字がはじき出されていたにもかかわらず大幅に少ない(約半分の)額が答申に記載されたのです。これは一体どういうことだったのでしょうか。

12-3.「半分にしろ」

答申に先立ち大石室長から説明を受けた島技師長は、十河総裁にこの3,000億円という額を提示しました。それを聞いた十河総裁はこう命じました。

これじゃ高すぎる。半分にしろ。

島技師長は、

これは圧縮に圧縮を重ねた予算だから、もう減らすわけにいきません。そんなことをしたら新幹線はできません。

と主張します。
すると、十河総裁はこう答えました。

3,000億円では国会を通らない。国会で半分にした予算が通れば、その後の必要資金は俺が責任を持つ。

昭和33(1958)年度の国家予算総額は、一般・特別会計合わせて約4兆1千億円でした。ちなみに、今年平成29(2017)年度の一般会計予算だけで約97兆5千億円ですから、当時の3,000億円という額がどれほど高額であったかお分かりいただけると思います。しかも、当時すでに計画が進んでいた「東京-神戸間高速自動車道路」の建設費が約1,500億円と見積もられていたこともあり、2,000億円は切りたいというのが十河総裁の思いでした。

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国鉄の歴史(13):世界銀行

 

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「「夢の超特急」、走る! 新幹線を作った男たち」 碇 義朗著 文春文庫

「夢の超特急ひかり号が走った 十河信二伝」 つだゆみ著 西日本出版社

「不屈の春雷(下) 十河信二とその時代」 牧 久著 ウェッジ

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