History

国鉄の歴史(18):ヤング・ソルジャー

昭和55(1980)年に真木洋二が書いた、十河の後を継いだ国鉄総裁が主人公の「ヤング・ソルジャー」(日本経済新聞社刊)という小説があります。登場人物は仮名ではありますが、恐らく史実にかなり近いものと思われます。

18-1.石田禮助 第5代国鉄総裁

小説の中の主人公は、経団連会長に国鉄総裁になることを口説かれ、迷いました。その日の真夜中、モーツアルトの「レクイエム」を聴いて総裁を引き受けることを決意します。

2期6年に渡って国鉄監査委員を務め、2期目は監査委員長であった元三井物産の商社マン、石田禮助は昭和38(1963)年5月20日、十河の後を継いで第5代国鉄総裁に就任しました。経営健全化のために民間から初めて起用された総裁でした。

18-2.国鉄諮問委員会

国鉄諮問委員会とは、十河前総裁が「業務の運営に広く国民の声を反映させるため、総裁の諮問に応じて、国鉄の業務に関する重要事項を調査審議する」ために設置したものです。松下幸之助など、一流の財界人や評論家が委員となっていました。十河前総裁は失脚する前の年に、今後の国鉄経営の在り方について、今後の輸送需要の増大のために毎年膨大な借入金をしなければならないが、それを続けると数年後には財政が完全破綻してしまうことを見抜き、どうすれば良いかこの委員会に問いかけていました。

委員会はそれに対する答申として、「公共負担は政府が補償すべき」、「企業性の発揮できる体制をつくるべき」、「多額の借入金は”政府出資”とすること」、「”新線建設”という儲からない線の建設はやめるべき」といった内容を『国鉄経営の在り方』にまとめました。

総裁交代が決定される直前のこの委員会の席上、石田は出席者の中でただ一人十河総裁の東海道新幹線予算超過をとがめ、答申に反対しました。

しかし、十河前総裁は「石田君は財界のベテラン、堪能の士だ。私が力及ばずできなかったことも、新総裁が必ず成し遂げてくれるだろう」と言って石田総裁に期待しました。

18-3.鶴見事故

石田総裁就任から約半年後の昭和38(1963)年11月9日21時50分。東海道線鶴見~新子安間で、貨物列車の貨車が脱線し、そこに通りかかった上下2本の電車が衝突。死者161人、重軽傷者120人を出す大事故が起きてしまいます。

石田総裁はこの事故以降、給料を返上し、月にブランデー1本だけ受け取ることに決めます。

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国鉄の歴史(19):粗にして野だが卑ではない

 

画像: By spaceaero2 – 投稿者自身による作品 (本人撮影), CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9999071

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