#シリーズ「PEの歴史」は、いったんお休みします。 昭和32(1957)年2月21日。それまで国鉄の車両設計部門は工作局客貨車課と動力車課に置かれていましたが、「臨時車両設計事務所」という名称で本社付属機関として分離独立 […]
History
#シリーズ「PEの歴史」は、いったんお休みします。 昭和32(1957)年2月21日。それまで国鉄の車両設計部門は工作局客貨車課と動力車課に置かれていましたが、「臨時車両設計事務所」という名称で本社付属機関として分離独立 […]
「新幹線の父」である十河信二は、国鉄総裁時代に当然のことながら東海道新幹線の建設を最優先にしました。では、十河にとって在来線とはどのような位置付けだったのでしょうか。
昭和39(1964)年10月の東海道新幹線開通を記念して、東京駅には2つの記念碑があります。今回は、それらにまつわるエピソードを取り上げます。
昭和39(1964)年10月1日の東海道新幹線出発式に、十河前総裁と島前技師長の姿はありませんでした。
十河信二国鉄総裁が尊敬されていた、恩師である後藤新平初代鉄道院総裁は、ある時このように訓示を述べられたそうです。
昭和31(1956)年11月19日、この日戦後初めてとなる夜行特急列車「あさかぜ」号が走り始めました。
これまでのストーリー(国鉄の歴史)で「新幹線の父」として描かれている十河総裁と、ブルートレインとの間には一見何のつながりもないように思われるかもしれません。ところが、歴史を紐解くと意外なことに十河総裁はブルートレインの父 […]
昭和38(1963)年5月31日。国鉄で十河総裁辞任に伴う人事異動が発表されると、その日の夕方東京ステーションホテルで送別会が開催されました。