これまでのストーリー(国鉄の歴史)で「新幹線の父」として描かれている十河総裁と、ブルートレインとの間には一見何のつながりもないように思われるかもしれません。ところが、歴史を紐解くと意外なことに十河総裁はブルートレインの父でもあるのです。
1-1.内部の反対
十河総裁が就任されてから約1年後の昭和31(1956)年11月19日、東海道線(東京~大阪間)の全線電化が完成しました。
それをきっかけに、東京~博多間を直通する特急列車を走らせようということになりました。この夜行寝台特急を企画したのは、広島鉄道管理局の瀧山養(まもる)で、そこに後の鉄道研究所所長で当時門司鉄道管理局長だった篠原武司が応援に加わりました。ところが、大阪を深夜に素通りすることになるため、国鉄内部からの反対にあいました。
瀧山は後にこう書いています。
私が広鉄局長の時、東京~博多間の夜行特急を企画して本社に伺いをたてたが、営業担当の役員から、”大阪を深夜に通るようなことは非常識だ”と罵倒され、また職員局から”大阪駅を徹夜にすると、定員が三十七人増える”と反対された。
1-2.十河総裁の介入
しかし、瀧山と篠原は粘りました。では大阪駅に停車せず、貨物線を通過させてはどうか?と考えました。
この提案を聞いた十河総裁は、
おもしろい案だから、やってみろ。
とおっしゃいます。
1-3.特急「あさかぜ」の誕生
当初、この夜行特急の名称候補は「ふじ」でした。しかし、夜行なので富士は見えません。夢の中で富士山をイメージするより、翌朝のさわやかな風のほうが良いのでは?ということで石井常務理事が「あさかぜ」はどうかと提案します。
これに十河総裁も
早起きは大事じゃからな。さわやかでいいじゃないか。
と賛成したので決定となりました。
というわけで、十河総裁がいらっしゃらなければ、国鉄内部からの反対を押し切れずに「あさかぜ」号は誕生しなかったかもしれません。そう考えると、十河総裁は「ブルートレインの父」でもあるのです。
アイキャッチ画像: 写真撮影 – 星 晃 / 「新幹線を作った男 島秀雄物語」 高橋団吉著 小学館 p.235 より
「十河信二」 十河信二傅刊行会
「新幹線を走らせた男 国鉄総裁 十河信二物語」 髙橋団吉著 deco
鉄道ピクトリアル 2005年7月号 「星 晃氏に伺う 20系客車誕生とその時代」
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