昭和32(1957)年9月11日、運輸省の第一回幹線調査会が開催されました。その会議のはじめに、大蔵会長はこう発言します。
歴史
国鉄の歴史(11):幹線調査室
昭和32(1957)年7月29日、国鉄に「幹線調査室」が設置されます。それは、運輸省幹線調査会における議論を円滑に進めるための事務局としての位置付けでした。
国鉄の歴史(10):有法子
予想以上の大成功を収めた山葉ホールでの講演会でしたが、なぜか翌日の十河総裁は不機嫌でした。
国鉄の歴史(9):東京-大阪三時間の可能性
5回にわたり国鉄内部で開かれた、東海道線増強調査会。「新しいことはやらない方が無難」という支配的な風潮に、会長であった島技師長はこう考えました。 今までは国鉄自身で物事を決め過ぎていた。世間全体で判断しなければならない。
国鉄の歴史(8):国鉄内部の攻防
昭和30年代、日本は戦後復興から高度経済成長の時期を迎えます。東海道線(東京―神戸)沿線の東京、横浜、名古屋、大阪などの各都市には工場や市街地が広がり、人口が集中するようになりました。
国鉄の歴史(7):春雷子
十河総裁は、よく怒鳴りました。怒ると「実際にムチで打たれるような迫力」があり、その部屋にいる全員が思わず席から立ち上がってしまうほどのド迫力でした。
国鉄の歴史(6):島秀雄技師長の登場
夢の超特急を作るという大事業に命を賭けた十河総裁には、優秀な技術者が必要でした。十河総裁にとって、その大役を担うことができると確信できるのはこの人を置いてほかにいませんでした。
国鉄の歴史(5):「君たちに夢を」
国鉄総裁就任を要請された十河信二は、政府に対して広軌新幹線の建設を実現することを就任のための必須条件にしたかったのですが、いきなりその思いをぶつけてもむしろ計画が潰されてしまう、そう考えてまずはそのことに直接触れないよう […]
国鉄の歴史(4):夢の超特急を作る
71歳で第4代国鉄総裁への就任を要請された十河信二には、ずっと心に秘めていたある夢がありました。
国鉄の歴史(3):十河信二総裁の登場
昭和30(1955)年、当時の運輸大臣は後に第66代首相となった三木武夫でした。三木は、トラブル続きで総裁不在となった国鉄への信頼回復と内部の建て直しのために当初外部の財界人を総裁として起用しようとしましたが、誰も引き受 […]
国鉄の歴史(2):相次ぐ大事故
初代総裁が就任からわずか1ヶ月で怪死を遂げるという不穏な門出となった国鉄は、その後も多発する重大事故により次々と総裁が辞任する事態が続きます。
国鉄の歴史(1):国鉄の誕生
日本国有鉄道(国鉄)の誕生は、昭和24年(1949年)6月1日のこと。
国鉄は収益性の高い公共企業体だった
30年前に分割民営化されJRとなった国鉄は収益性の高い公共企業体だった。 これはどういうことなのでしょうか?