久しぶりの投稿になります。 この度、貴重なご縁を頂きまして 2021年1月21日 にネコ・パブリッシング社より発売された鉄道趣味雑誌「レイルマガジン」447号/2021年3月号の 82-85 ページに、不定期掲載の新企画 […]
国鉄
コラム:剣を打ちかえて鋤とする / 三木忠直
昭和30年代、十河総裁と島技師長のもとに集結した国鉄の新幹線開発チームには、多くの旧日本陸海軍にいた優秀な技術者たちが加わっていました。今回のコラムでは、その車体設計に大きく貢献したある人物を取り上げます。
コラム:国鉄のデザイナー / 黒岩保美
国鉄車両に見られた、日本の伝統と情景にマッチした美しい色合いや数々のトレインマーク、重厚感があり視認性に優れた各種表記文字。これらすべては、日本画を熟知した、ある一人のデザイナーの手によるものであったことをご存知ですか?
コラム:ビジネス特急「こだま」の人気
昭和33 (1958) 年11月の運転開始から、たちまち大人気となった国鉄151系電車によるビジネス特急「こだま」。この列車の人気と、実際の旅客輸送需要への変化を考察します。
コラム:ビジネス特急「こだま」の経営
昭和33 (1958) 年に国鉄が約9億5千万円の資本を投下して開発した、151系ビジネス特急電車「こだま」。そこで培われた技術は後の東海道新幹線0系電車の誕生への重要な基礎となりましたが、この列車は国鉄の経営面において […]
コラム:国鉄から始まった「電子レンジ」
昭和30年代の国鉄は、当時の先端技術を新型車両に積極的に取り入れて時代をリードしていました。今回はその中の一つ「電子レンジ」を取り上げます。
コラム:十河信二とアメリカ(4)
マシュー博士邸滞在の後に十河がお世話になったのは、郊外の小さな鉄道会社の実態を調査するために向かったロチェスターのスミス医師ご夫妻のお宅でした。ここでも、十河は家族の一員として手厚くもてなされました。
コラム:十河信二とアメリカ(3)
大正6(1917)年の十河のアメリカ留学で滞在先として紹介されたのは、ハドソン川に面するヘイスティングス (Hastings-on-Hudson) という小さな町に住むマシュー家でした。
コラム:十河信二とアメリカ(2)
十河信二は自身の米国留学について、出発前に友人たちへ本当の目的をこのように話しました。 自分はなにかしら将来米国と戦争にでもまるようなことがありはしないかという予感がしてならない。その時にどうしたらよいかということを研究 […]
コラム:十河信二とアメリカ(1)
後に第4代国鉄総裁となる十河信二は、鉄道院経理局勤務時代の大正6(1917)年、鉄道事業の研究を主な目的として米国に1年留学することになりました。
COQTEZ ブランドのポジショニング
史上初 『国鉄の香り』 ルームフレグランスの衝撃的なデビューから始まった COQTEZ。今回は、そのポジショニングについてお話します。
コラム:ビジネス特急「こだま」の設計
ビジネス特急「こだま」を設計されたのは、新幹線0系電車の設計にも携われ、後に国鉄副技師長となられた星 晃でした。今回は、その設計にまつわる話を幾つかご紹介します。
コラム:ビジネス特急「こだま」の魅力
昭和33(1958)年11月1日、東海道本線に華々しく登場したビジネス特急「こだま」。当時大人気となった列車のおもな魅力を取り上げます。
コラム:ビジネス特急「こだま」の誕生
赤とクリーム色の「こだま」形国鉄特急電車。本州や九州の幹線ではほぼどこでも見られたこのスタイルの列車の元祖である151系電車誕生の歴史に迫ります。
コラム:東海道線の色はみかんと葉っぱではない?
東海道線電車の緑とオレンジのツートンカラー、「湘南色」。これは、沿線のみかんと葉の色として選ばれたと思われている方も多いかもしれませんが、実は違うのです。
コラム:「東海形」と呼ばれる車両デザイン
近年まで東海道線など首都圏でもよく見られたいわゆる「東海形」と呼ばれる顔を持つ国鉄設計の電車。今回はそのデザインの背景に迫ります。
コラム:ブルートレイン設計者が語る夜行寝台列車の未来
0系新幹線の車体設計で有名な星晃氏は、元祖「ブルートレイン」20系客車の設計にも関わられましたが、ご存命中にすでに縮小傾向にあった夜行寝台列車の行く末を案じておられました。今回は鉄道専門誌の記事の中から、盟友卯之木十三氏 […]
コラム:3系列の国鉄ブルートレイン
平成27(2015)年8月22日。臨時列車となった札幌発上野行き寝台特急「北斗星」を最後に、昭和33(1958)年10月の東京-博多間を結ぶ寝台特急「あさかぜ」のデビューから始まったブルートレインの歴史の幕がいったん閉じ […]
コラム:臨時車両設計事務所はなぜ「臨時」だったのか
#シリーズ「PEの歴史」は、いったんお休みします。 昭和32(1957)年2月21日。それまで国鉄の車両設計部門は工作局客貨車課と動力車課に置かれていましたが、「臨時車両設計事務所」という名称で本社付属機関として分離独立 […]
コラム:十河信二と在来線
「新幹線の父」である十河信二は、国鉄総裁時代に当然のことながら東海道新幹線の建設を最優先にしました。では、十河にとって在来線とはどのような位置付けだったのでしょうか。